無機質な人形たちで
脚色・演出 東口次登
SF界の奇才ディックとの出会いは20年程前、短編集『地図にない町』からです。表題作をクラルテ・アトリエ実験劇場で上演した時、もう一遍の「薄明の朝食」を人形劇にしたいとずっと考えていました。でも当時は上演しても嘘くさいSF人形劇になるのではないかと思い敬遠していました。しかし東日本大震災、原発事故、領土問題、各国での紛争・軍事介入と負の歴史が続く中、だんだん時代がディックの未来に近づいてきた今こそ、人形劇にしなければと考えました。
原作は第二次大戦後・米ソ冷戦に始まり、核戦争の影に脅えていた時代の7年後の未来が描かれています。今回、脚本を現代に置き換え、2020年までの未来を人形劇化しました。そこは世界中が冷戦時代よりも顕著に武力行使が進み、ついに核兵器が使用された時代です。そんな究極の状況の中で、戦争と無縁だと思っていた家族が如何に生きて行くのかをテーマに描きました。近い将来、私たちの身の回りにも起こるかも知れないと危惧するからです。原作の家族は夫・妻・子ども3人の5人家族ですが、現代の家族を象徴的に描くために、夫・妻・息子・祖母の4人家族で、それぞれ問題を抱えて暮らしている設定にしました。
舞台はリアルな食卓を中心にした台詞劇なので、人形遣いたちの悲鳴が聞こえてきます。時空を自由に飛び回るのが得意な人形たちを密室に押し込めるとどうなるか? 何か発見があるか、実験にも似た気持ちで創ろうと考えました。
それから、人形です! 例えば家族を人間以外の、ブタやクマのような動物家族とか、大根とか人参とか、宇宙人とか、人形劇はあらゆる手法で表現出来ますが、今回はやはり食卓ですから人間の人形です。クラルテは近松門左衛門の作品に代表されるように人間の情念・怨念等を頭(かしら)に彫り込んだ人形を得意としてきました。その人形たちは登場した瞬間から人形遣いが演じる前から、何かしら心を持っている時もあります(それは人形美術の力でもあります)。今回はそこからも離れて、無機質な人形で、心も見えにくい人形で、敢えて人形の情念を表現できないかと考えました。
リアルな食卓と無機質な人形とのミスマッチの世界を選んだのは、現代の家族や人間関係が本音をしまい込み、無機質のような表層部分で付き合っているように思えたからです。存在自体が『物・モノ』にすぎないものが、どこまで人間の心を持ち、葛藤し、家族という集団を表現できるか、そんな人形が生み出した家族の方が、本当の家族を象徴していると感じてもらえたらと思っています。
ディックは「現実」の脆さを指摘し、「現実とは何か」・「人間とは何か」を追求した作家です。この人形劇がディックの未来と真逆の希望の作品になればと願っています。