ごあいさつ
あらすじ
スタッフ・キャスト

「動物農場」から「新・動物農場」へ

東口 次登

オーウェルと『動物農場』

川端 康雄(日本女子大学教授)

「父とジョージ・オーウェル、私と動物農場」

羽深 加寿男

ジョージ・オーウェルの生きた時代とロシア革命

出演者のことば

シュールに!ミステリアスに!

西口司郎(イラストレーター)

『願い』

松原康弘(人形美術)

「新・動物農場」の舞台にむかって

西島加寿子(舞台美術)

『自由への歌』

一ノ瀬季生(音楽

稽古フォット

 

ジョージ・オーウェルの生きた時代とロシア革命


 青字がオーウェルについての表記

1898 ロシア社会民主労働党結成
1903 イギリス植民地のインドに生まれる。
ロシア社会民主労働党、ボリシェヴィキ(レーニン)
とメンシェヴィキ(マルトフ)に分裂。
  1904~1905 日露戦争
1905 第一次ロシア革命 
血の日曜日事件・ポチョムキン号の反乱
皇帝ニコライ2世の十月勅令によって、革命は
鎮静化する。
1911 イングランドのセント・シプリアン校に入学。
  1914~1918 第一次世界大戦
1917 奨学生資格を得、イートン校に入学。
第二次ロシア革命
ペトログラード暴動起こる。
女性労働者から始まったデモが各地に広がり、
鎮圧に向かった兵士たちも労働者側についた。
ニコライ2世は退位し、ロマノフ朝が崩壊。
1918 内戦と対ソ干渉戦争を経て、憲法制定議会
が解散、ロシア共産党(旧名ボリシェヴィキ)の
独裁体制となる。
    赤軍・秘密警察であるチェカが創設される。
1919 コミンテルン(第3インターナショナル)結成
1921 新経済政策(ネップ)実施 経済は持ち直す。
1922 ソヴィエト社会主義共和国連邦成立
1924 レーニン死去
トロツキー(世界革命論)、スターリン(一国社会
主義論)対立深まる。
1922~27  大学へは進学せず、5年間、大英帝国の
警官としてビルマに勤務。

1928 第一次五ヵ年計画実施 集団農場(コルホーズ)
導入。
1929 トロツキーを国外追放、スターリンの独裁体制と
なる。
1933 警官を辞職後、ロンドンとパリで放浪生活を送り、
その経験を書いた処女作「パリ・ロンドン放浪記」
刊行。

1934~1938  スターリンの大粛清
ソ連新憲法(スターリン憲法)制定
1936 小説「葉蘭を風にそよがせよ」刊行。
イングランド北部の工業地帯を調査し、不況下
の労働者の生活を視察。
    アイリーン・オーショネシーと結婚。
    12月、内戦下のスペインへ報道のため赴き、
共和国側の民兵として戦う。

  1936~1938  スペイン内戦
1937 前年の調査を元に「ウィガン波止場への道」刊行。
5月、狙撃を受け負傷。妻とともに帰国。

1938 スペイン市民戦争の記録を綴った「カタロニア
讃歌」刊行。
    持病の肺結核が再発。

  1939~1945 第二次世界大戦
9月、第二次世界大戦の勃発により入隊を希望
するが、健康上の理由で拒否される。
1941~43  英国放送局(B.B.C)に勤務。
東洋部インド課で、東南アジア向け宣伝番組の
制作に従事。
「動物農場」の執筆に取り掛かる。
1944 「動物農場」完成するが、内容の強烈なソヴィエト
批判故に出版が難航。
1945 従軍記者としてヨーロッパへ。ナチス・ドイツの
崩壊を目撃。
8月、「動物農場」がイギリスとアメリカで刊行
されベストセラーに。

東欧諸国の人民民主主義国(衛星国)化(~48)
1947 結核に罹患。「一九八四年」の執筆に取り掛かる。
  1948~  冷たい戦争
1949 「一九八四年」を書き終える。
ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立
ロンドンにて46歳で死去。

※「動物農場」と「一九八四年」の最後の二つの作品が特によく知られているが、他にも時事的な批評から身辺雑記まで、膨大な量のエッセイを生涯にわたって書き続けた。
 参考文献
   「動物農場」高畠文夫・訳(角川文庫)
   ニューステージ世界史詳覧(浜島書店)