ジョージ・オーウェルの生きた時代とロシア革命
青字がオーウェルについての表記
1898 ロシア社会民主労働党結成
1903 イギリス植民地のインドに生まれる。
ロシア社会民主労働党、ボリシェヴィキ(レーニン)
とメンシェヴィキ(マルトフ)に分裂。
1904~1905 日露戦争
1905 第一次ロシア革命
血の日曜日事件・ポチョムキン号の反乱
皇帝ニコライ2世の十月勅令によって、革命は
鎮静化する。
1911 イングランドのセント・シプリアン校に入学。
1914~1918 第一次世界大戦
1917 奨学生資格を得、イートン校に入学。
第二次ロシア革命
ペトログラード暴動起こる。
女性労働者から始まったデモが各地に広がり、
鎮圧に向かった兵士たちも労働者側についた。
ニコライ2世は退位し、ロマノフ朝が崩壊。
1918 内戦と対ソ干渉戦争を経て、憲法制定議会
が解散、ロシア共産党(旧名ボリシェヴィキ)の
独裁体制となる。
赤軍・秘密警察であるチェカが創設される。
1919 コミンテルン(第3インターナショナル)結成
1921 新経済政策(ネップ)実施 経済は持ち直す。
1922 ソヴィエト社会主義共和国連邦成立
1924 レーニン死去
トロツキー(世界革命論)、スターリン(一国社会
主義論)対立深まる。
1922~27 大学へは進学せず、5年間、大英帝国の
警官としてビルマに勤務。
1928 第一次五ヵ年計画実施 集団農場(コルホーズ)
導入。
1929 トロツキーを国外追放、スターリンの独裁体制と
なる。
1933 警官を辞職後、ロンドンとパリで放浪生活を送り、
その経験を書いた処女作「パリ・ロンドン放浪記」
刊行。
1934~1938 スターリンの大粛清
ソ連新憲法(スターリン憲法)制定
1936 小説「葉蘭を風にそよがせよ」刊行。
イングランド北部の工業地帯を調査し、不況下
の労働者の生活を視察。
アイリーン・オーショネシーと結婚。
12月、内戦下のスペインへ報道のため赴き、
共和国側の民兵として戦う。
1936~1938 スペイン内戦
1937 前年の調査を元に「ウィガン波止場への道」刊行。
5月、狙撃を受け負傷。妻とともに帰国。
1938 スペイン市民戦争の記録を綴った「カタロニア
讃歌」刊行。
持病の肺結核が再発。
1939~1945 第二次世界大戦
9月、第二次世界大戦の勃発により入隊を希望
するが、健康上の理由で拒否される。
1941~43 英国放送局(B.B.C)に勤務。
東洋部インド課で、東南アジア向け宣伝番組の
制作に従事。
「動物農場」の執筆に取り掛かる。
1944 「動物農場」完成するが、内容の強烈なソヴィエト
批判故に出版が難航。
1945 従軍記者としてヨーロッパへ。ナチス・ドイツの
崩壊を目撃。
8月、「動物農場」がイギリスとアメリカで刊行
されベストセラーに。
東欧諸国の人民民主主義国(衛星国)化(~48)
1947 結核に罹患。「一九八四年」の執筆に取り掛かる。
1948~ 冷たい戦争
1949 「一九八四年」を書き終える。
ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立
ロンドンにて46歳で死去。
※「動物農場」と「一九八四年」の最後の二つの作品が特によく知られているが、他にも時事的な批評から身辺雑記まで、膨大な量のエッセイを生涯にわたって書き続けた。
参考文献
「動物農場」高畠文夫・訳(角川文庫)
ニューステージ世界史詳覧(浜島書店)