おーいペンギンさーん -大阪弁のナンセンスな人形劇-

お風呂屋さんにひとりで行った太郎くん。
お風呂から上がってみると、
「あっ!ぼくの服がない!?」
残っていたのは なんとペンギンの服でした。
太郎くんはすぐに追いかけた。
『おーい ペンギンさーん』
舞台はお風呂屋さんから南極へ
太郎くんはペンギンのペンタロウを追っていく途中、
ワニやあほうどり 最後には くじらに助けられ、
やっとのことで南極についてみると・・・。

原作 岡田よしたか(福音館書店刊)
脚色 松本則子
演出 西村和子
美術 永島梨枝子
音楽 一ノ瀬季生
制作 古賀恵子

脚色のことば

「ほんまにあったらええのになあ」 松本則子

一人でお風呂屋に行ってみようかなと思って、思い切ってお父さんに言ったら許してくれた。お母さんも「行ってもいい」と言ってくれた。「服、まちがえんと帰っといでや」と言われ、「間違えるわけないやん」と胸を張って出かけてきた。そやのに、風呂から上がったら『僕の服がない。』
これでは帰られへん。『ペンギンの子がまちがって着て帰った』と番台のおばちゃんが言うた。なにがなんでも南極まで行って、服を取り返さなあかん。走りだす太郎君。
私は思わずエールをおくります。そやで「ここで、シオシオと帰ったら、二度と親から信用してもらわれへんで」と。
泣きもせんとまっしぐらに走る太郎君。ほらみてみ、世間も捨てたもんやないやろ、手伝ってくれる大人はようさん出てくるやんか。
そやけど、手伝ってくれる大人って、みんなけったいな人ばかりやな。けったいやけど、あったこうて、ええ人やな。
何かに向かってひたすら走る。人に助けられながら、自分の目的を達成する。体を動かして何かをすることが苦手な社会。人と人との心の伝達が会話という形を取りにくい社会。そんな社会で暮らすしかない子ども達に、「こんなことあったら面白いとおもわへんか」「こんなことあったらやれへんか」と子ども達に呼びかけながら創りました。

演出のことば

西村和子

子どもたちは誰しもなにがしかの誇りを持って生きている。それは大人から見ればささやかでとるに足りないことでも、3歳は3歳の、5歳は5歳の、小学生になったら小学生としての輝かしい誇りなのだ。それを守ることは日々の成長であり生きている証。生きる力だと思う。
太郎君が、心配するお父ちゃんを尻目に初めて「一人で風呂屋に行って間違わずに自分の服を着て帰ってくる」と自信満々、勇んで風呂屋にでかけた、ただ、その行為をまっとうするために、「おーいペンギンさーん」とペンギンを追いかけて南極まで突っ走ることになる。そんな一途な太郎君につい巻きこまれて力を貸してくれるユニークな大人たち。上からの目線の押し付けがましいよけいなおせっかいの大人は多いけど、太郎君の気持ちを受け止めてまともに向き合い一緒に行動できる大人たち。大人もまんざら捨てたものじゃないと、こどもたちに思ってもらえる世の中でありたい。
「一人でお風呂に行く」と張り切って出かけて、「自分の服を着て我が家に帰ってくる」まで、ずいぶんながーいお風呂だったけど、そのながーい間に太郎君が獲得したものは計り知れない。出逢いとわかれも含めて体験したこと総て宝物だ。誇らしげな満足感でいっぱいで、ちょっと大人になったような気さえする。
お父ちゃんとお母ちゃんにかこまれて食べる南極みやげのかき氷の味は、かくべつ冷やっこいけど、このうえなく暖かい。