しのだづま 阿倍晴明誕生譚

説経浄瑠璃より

今より一千年も昔、平安の時代。天文地理の妙術を悟り神通力と謳われた陰陽師・阿倍晴明の誕生にまつわる物語。
代々天文道を志す家に育った阿倍保名は、信太明神へ参詣の折、天文道のライバル足焼けの石川悪右衛門狐狩りに出くわした。狩りに追われた白い狐を、保名は不憫に思い逃してやった。そのため悪右衛門と言い争いとなり、傷を負い信太の森をさまよっていた保名の前に、葛の葉と名乗る女性が現れる。
二人はやがて結ばれ、子をもうけた。童子丸と名付けられたその子は、虫や蛙などと心を通わせる不思議な子に育つ。
童子丸五歳のある秋の日、葛の葉は庭の蘭菊に見とれているうち、人の姿を忘れ正体を現してしまう。それはかつて保名が助けた白狐だった。その姿を子に見られた葛の葉は、障子に別れの句をしたためる。
「恋しくば たずねきてみよ いずみなる しのだのもりの うらみ葛の葉」
姿を消した葛の葉を追い、保名と童子丸は信太の森を訪ねた。しかしいくら呼べども葛の葉の気配はない。諦めた保名が子と共に自害を決意すると、耐えかねた葛の葉が姿を現わす。保名は童子丸のためにも共に暮らそうと説くが、最早人の世に戻れぬ運命の葛の葉は童子丸の将来のことをくれぐれも頼み、愛着の絆を切るべくまた元の白狐の姿となって、森の奥へ消えていった。
五年の歳月が流れた。十歳となった童子丸は名を阿倍晴明と改め、天文道の修行に天賦の才を発揮していた。さらに文殊菩薩の化身とも言われる伯道上人のお告げを得て、陰陽の秘伝を授かる。
その頃、京都の都では帝の病の原因が分からず大騒ぎとなっていた。名高い陰陽師・芦屋道満の祈祷も効き目がなかった。
晴明は小鳥たちの世間話に耳を澄ませ、帝の病の原因を知る。直ちに保名と共に京に上った晴明は、御殿の柱の下に埋まっていた蛇と蛙を逃し、見事帝の病を治してみせた。この功により、保名と晴明は陰陽頭に召されることとなった。
逆に面目を失った道満は晴明に占形の術比べを挑むが、そこでも晴明の技が勝る。怒り治まらぬ道満は晴明の動揺を誘うべく、父子を分ける謀事をめぐらす。偽の勅旨により晴明が祈祷をしている間、道満の手のものが保名を一条橋で待ち伏せて、闇討ちに葬った。
父の死を嘆く晴明だが、伯道上人のお告げを思い起こし、一生に一度の大術・生活続命の法をもって八百万の上に祈り、ついに保名を蘇生させる。
謀事が成ったと思い得意絶頂の道満は、何事もなく現れた保名を見て肝を潰した。帝の御前にて謀事が明るみに出て、観念し頭を垂れる道満。その首を取る許しを帝より得て、晴明は太刀を振り上げる。
その時、高らかな鳴き声が響き、母なる白狐の姿が現れ、晴明に語りかける…。
※阿倍晴明の苗字は「安倍」と記すのが一般的ですが、この芝居では阿倍家の在所・阿倍野の地に親しみを込めて、「阿倍」と記しております。

脚色・演出 東口次登
人形美術 永島梨枝子
舞台美術 西島加寿子
音楽 一ノ瀬季生
照明 永山康英
舞台監督 隅田芳郎
制作 齋藤麻美

脚色・演出のことば

素朴な人形劇 東口次登

1995年に「しんとく丸」(吉田清治・作)を上演して以来の説経浄瑠璃である。その間にハムレット、マクベス、三文オペラ、セチュアンの善人、火の鳥と劇的でかつ難解なドラマを人形劇化してきた。そこには人間芝居なるものを人形劇化して、より人形劇の方が魅力的であるということを証明してやろうという魂胆もあった。そして人形劇ならではの演劇性をいくつか発見出来、収穫もあった。しかし今、単純で素朴な人形劇がしたくなった。難解なドラマ仕立ては、観客を思考させようとする回路が働きすぎ、人形の本来持つ表現より、筋立てを感動的に魅せるために人形を駆使することになっているのではないか。それは人間の俳優が人形に変わっただけにすぎないのではないか。
「人形は何のために存在するのか?」
久しぶりに原点に帰ってみたくなった。
『しのだづま』は『芦屋道満大内鑑』(竹田出雲・作)として、文楽・歌舞伎の名目の一つとして上演されている。人形に関しては、近松時代の一人遣いから、現在の文楽の三人遣いになった初めとも言われています。三人遣いはより人間らしいリアルな動きを求められ、先ほど述べた人間が人形に変わったと同じ意味を持つかも知れません。出雲作はお家騒動あり、二人の葛の葉が登場して早変わりもあり楽しめますが、全体的には結構難解なドラマです。しかし今回は、葛の葉は一人で、子別れを主にした単純なドラマです。当時は、よく知られた物語を説経で聞いて、わかっていながら涙するそんな時代だったのかも知れません。そうなると、筋書き・戯曲だけに頼れない人形たちが慌て出します。人形たちは、神仏の再来・降臨のような、あるいは自然が生み出した象徴のような存在として演じられなければならないと思っています。保名・葛の葉・晴明の親子こそ、自然が生みだした人間の本来あるべき姿なのかもしれません。
この作品は東日本大震災の前に書かれた脚本です。震災後、演劇に何が出来るかとよく問われますが、この作品はそのために新たに手を加えなくても充分理解していただけるものと信じています。