すばらしい演奏 本当にありがとう!

一ノ瀬季生(作曲、編曲、指揮)


 たくさんの地域のアマチュアのオーケストラの方々と音楽を作ってきました。そこでなくては生まれない心こもったヒューマンな音楽が本番の会場に溢れました。そして、共に大きな感動を味わいました。すべてのオーケストラとの感動を語るには、いっぺんにはとても語りえません。それで、ここでは鹿屋市での公演後のまとめの文章で代表させて下さい。共通の思いがたくさんあるのです。

ミラクル!、奇跡!、その言葉にまさにぴったりのことが鹿屋に起こりました。ベートーベンの交響曲第6番「田園」を、結成して一年のアマチュアオーケストラが見事に演奏したこと、多くの障害を乗り越えて本番に暖かく素晴らしい演奏で鹿屋の市民に大きな 感動を与えてくれた、そのことです。

 本番一年前。オケのメンバーが集まりだして最初の練習___のどかな田園風景をイメージするところの演奏が始まると、あれれ、ザワザワと嵐がやって来そうな不穏な風の音が沸き上がる。なんとかその部分を通りすぎて、やがて次の重要な主題が聞こえてくるところにさしかかると、おっ、ちゃんと旋律が聞こえてきたぞ、と安心すると・・・・消えてなくなってしまった。
 オーケストラがそんな状況なのに演奏の日は決まっているし、練習する曲は有無を言わせず、プロでも簡単ではないベートーベンの「田園」、それと『ゴーシュ』に挿入される影絵劇のためのオリジナルのオーケストラ曲なんです。それにオーケストラに必要な楽器と演奏者はまだ足りなかったし、常任の指揮者の不在、またメンバーの中には鹿屋の練習会場まで1時間以上かけてやって来るなど、遠方からの参加者が何人もいたり、高校受験の学生や、現役の中学生も重要な構成員であるということから練習のスケジュール作りの大変さなどなど・・・困難な条件が山ほどあったのです。
 ああ、それなのに、どうしてあのような演奏が本番で実現できたんだろう!!
 
 それは、なにより夢に向かう人の思いです。やろうよと言う人がいた、これが出発点(オケがないのにやろうと言う人もすごいと思う)。やがて呼びかけに応えて夢を共にする人たちが集まってきて、それぞれが持てる知恵と力を出しあっていった。また、行政が文化に理解を持ち市民の希望に積極的に応えてくれたことも頼れる大きな力でした。さまざまな要因がこの途方もない夢を実現に導いたのですが、音楽というところから考えてみます。
 
 音楽のもつ力を思うのです。人が音楽を愛するのは、それが人間が心を震わせて紡ぎだしたものだからです。喜びを、悲しみを、勇気を、落胆の気持ちを、そして夢や希望を、言葉で表しきれない時にどうしようもなく魂からあふれ出たものが音楽だからです。
 それを自ら歌いたい、演奏したいというのは音楽がそのようなものだからでしょう。
 音楽に魅せられた人たちが鹿屋にも沢山いたのです。そして桁外れの夢と希望をもった人たちが。それぞれ違う生活を抱えながら、夜、練習会場に集い同じ曲を一心に演奏する。ちゃんと弾ける人は沢山ではなくて、まだ四苦八苦のひとが多い。でも情熱は他のどんなオーケストラにも負けてはいませんでした。まさに宮沢賢治のイーハトーボの世界を彷彿とさせるようでした。

 音楽はそのような人たちによって、真の生命を取り戻すのでしょう。細かい演奏のミス(細かくないものありましたが)は、そのアンサンブルの心でどうにでもなっていくのです。笑い飛ばしていくことで未熟な演奏は成長していきます。出した音が本当に生きたものかどうか、それは演奏する本人が一番わかっているから。アマチュアの謙虚さはなによりの力なのです。自分の音が他の人たちの音の邪魔になっていないだろうか?そして、音楽を汚(けが)しはしないだろうかと真摯な思いで、真剣に音楽に向かうアマチュアの心こそ、音楽が要求するものなのです。

 演奏の出来不出来は演奏の場にいた聴衆が一番正しく判断します。ゴーシュがアンコールに登場するとき、客席から男の子の声で「がんばれー」と全く予期しなかった声援。全公演の幕が下りるときの客席から沸き起こった暖かい大きな拍手。今思い出しても涙が出てきそう。

 音楽は不思議です。楽譜通りの完ぺきな演奏が必ずしもいい音楽にはならない。音楽は聴くものの心を動かすものでなくてはならない。いい演奏というのは、そんな感動を人々に呼び起こすものですよ。聴く人たちは音符をなぞりながら聞くのではない。音が出てくる瞬間の様々な要素を一緒に感じて音楽として聴いている。音楽が瞬間の芸術だと言われるゆえんの一つはそこにもあるのでしょう。

 近所のお姉さんがバイオリンを弾いている、役所のおじさんがクラリネットをボーボー吹いている、僕たちの学校の先生がティンパニーをたたいてる、フルートを吹いている。養護の先生もいる、紅潮した顔で一生懸命楽器を弾いているのはあの女子学生だよ・・・知っている顔の楽団員が一生懸命に音楽を奏でている。それも一年前から今日の日のために練習してきて、その『かのや金星管弦楽団』の初めての演奏会!楽譜とは直接関係のないこんなことが実は音楽の大切な要素なんですね。誰が誰のために、どんな思いで音楽を演奏しているのか、こんなことをいっぱい丸ごと感じながら音楽を演奏する人も、聞く人もその瞬間に呼吸しているのです。二度とないその瞬間に。

 また、演奏者の思いは確実に音に反映するんですね。そして、聞く人はまたそれをちゃんと感じとるんです。
 鹿屋での『セロ弾きのゴーシュ』が天国の宮沢賢治もベートーベンも驚くくらいに立派に感動的に上演できたのは、そんなヒューマンな音楽がホールいっぱいに流れたからなんだと思います。
 
 こんな演奏と舞台に出会えた町の人たちは本当に幸せだったと思います。とくに子どもたちにとってはそうでしょう。心のこもった本物の音をかれらは身体いっぱいに受け取ってくれたことでしょうから。それは彼らの宝物になるでしょう。

 こんな素晴らしいアンサンブルが鹿屋の町に産声を上げたのですから、これは大切に育てていかなければ、と考えていたら、もう次の展開が始まっていますね。この公演の熱い思いを忘れないで、鹿屋の市民に愛される熱い思いを奏でるオーケストラに、あわてずゆっくり成長することを心から願っています。
 またいつか音楽の優しさ厳しさを一緒に体験しましょう。感動的な立派な演奏を本当にありがとう!

 最後に、この公演を、オーケストラを影で力強く支えてきてくださった鹿屋子ども劇場のみなさん、本当にご苦労様でした。