「国性爺合戦」の魅力
吉本孝雄(大阪経済法科大学教授) |
この作品は正徳五年(1715)、今から二百数十年も前に大阪の竹本座(戎橋の南)で初演された浄瑠璃で、近松門左衛門が若い初代竹本政太夫、後の二代目竹本義太夫のために畢生の力を絞って書き上げた作品です。題材は明末の鄭成功が日本に援助を請うた史実に基づいています。丸本の「国性爺合戦」の角書に「父は唐土、母は日本」とあるように、父は明国から亡命して九州平戸に住んでいた鄭芝龍、母は平戸の田川氏の娘で、清のため亡ぼされた明朝を回復しようと中国に渡って抗戦を続けますが、志を遂げず、台湾で寛文九年(1667)病没した国性爺、和藤内が主人公です。国性爺は国王明帝の姓を賜わった名将(爺は老大家の意で歴戦の武将の尊称)の義で和藤内は和唐内の洒落で日本にも中国にも較べる人物もない世界一の武将と言う意味でしょう。 近松がこの「国性爺合戦」を全力をあげて書き上げた理由の一つは、実は今迄、苦労を共にして来た初代竹本義太夫が正徳四年九月十日、六十四才でなくなって、義太夫が自分の後継者として目をかけていた竹本政太夫はまだ弱冠二十四才でした。義太夫の期待も空しく、政太夫を中心とした浄瑠璃興行は義太夫の死後は次々と失敗に終り、その上若いのに祭り上げられている政太夫に嫉妬する老巧な太夫の非協力もあって竹本座の将来まで危ぶまれました。そこで座元の竹田出雲もこのまま棄てては置けず、近松門左衛門に太夫・三味線・人形で見物を感動させる事は勿論のこと、舞台道具でも十分趣向を凝らすから思い切って面白い作品を書いてほしいと要望しました。それで見た目も面白く、舞台も豪華な「国性爺合戦」が出来上がったのです。「国性爺」は支那風にコクセンヤと読ませます。明、清をミン、シンと読むように。但し国王から賜わつた姓ですから姓の字が正しいのですがお国柄の国民性も匂わせているのでしょう。 勿論「国性爺合戦」には先行作があります。十五年前の元禄十三年錦文流作の岡本文弥の正本「団仙野手柄日記」です。これを見ると雲南の龍明王が韃靼王のため城を囲まれたので皇女栴だら女が囲みを脱出して、日本に渡り、鷲尾兄弟(弟が国姓爺)に目を付け、兄弟の奇計と武略で韃靼を破る所や、第五段の呉三桂が山蜂を入れた竹筒の計略などを見ると、近松が巧みにこれらを取り入れている事が分ります。 さて、「国性爺合戦」の大当りを取った理由の第一は、日本人の豪快な金平風の英雄、和藤内の千里ヶ竹の虎狩りや獅子ヶ城での活躍は勿論、一般の見物の日には物珍しい中国の宮殿楼閣、扮装、風俗が舞台一杯に展開したこと、第二に日本と中国との風俗、気風を日本のものと比較対照して、お国自慢の日本魂を存分発揮させ気焔をあげさせて見物を喜ばせたこと。第三には日本にあるかと思えば中国、万里の竹林に居るかと思えば、目もきらめく獅子ヶ城と場面が変幻自在の上に九仙山の大カラクリで見物の目を眩惑させたこと、第四に一本気で正義に富み武勇にすぐれた、祖国を忘れぬ、日本人好みの陽性な和藤内と理智深謀の甘輝、日本の継子のため殉ずる老母と父のため死ぬ中国の美姫との対比の鮮やかさが人気をあおって、正徳五年十一月から享保二年二月の千秋楽まで三年に亙る十七ヶ月、五百日間毎日大入りを続けました。この間人形の衣暴も損じて三回も作り変えたと伝えられています。その上当時の劇壇にも大変な刺激を与え、歌舞伎方面でも京の都万太夫座、大阪の嵐大三郎座と荻野八重桐座、江戸でも中村座、市村座でこの「国性爺合戦」が上演されています。初段の大序の「南京城」では李蹈天が自分の左眼を到り貰いて韃靼王に内通する、見物の度胆を抜く所、栴檀皇女を李蹈天に与えようと帝が催した花軍の優雅な趣向、敵陣に倒れた華清夫人の腹を割いて呉三桂が皇子を取り出す人形ならではの場面、二段目の「口」の和藤内が鴫(しぎ)と蛤(はまぐり)の争いから軍法の奥義を悟る所、「中」のそこへ唐土舟が流れついて、栴檀皇女が和藤内夫婦に「日本人々なむきやらちょんのふ、とらやあとらやあ」と言って見物をどつと笑わせる所。「切」の千里ヶ竹では、荒れ狂う猛虎に伊勢大神宮のお札を見せると、忽ち尾を伏せ耳を垂れるお国自慢のおかしさ、命惜しくば家来になれと、長髪の中国人の髪を剃刀で皆月代にすると「頭は日本、髭は韃靼、身は唐人」となって頭が冷えて、くしやみする中国人を「かぼちや衛門、呂宗(るすん)兵衛、東京(とんきん)兵衛、暹羅(しゃむ)太郎」等 と名付けて行列させて得意になる所は筆が足り過ぎて、今日では一寸嫌な気がしないでもない。 第三段の「口」獅子ヶ城楼門、「中」甘輝館(次)岩頭紅流し(切)再び甘輝館はこの作品の眼目で、楼門で錦祥女が父の絵姿を鏡に映る父の姿と見くらべる所は非科学的でありますが後の「一力茶屋」のお軽の名舞台や「引窓」の名舞台を思い出します。「中」の甘輝館で甘輝は和藤内の味方となって明朝を助けたいが、妻の縁に引かれて味方をしたと噂されないため、妻を殺して緑を断とうとします。それを見て縛られながらも義理の娘を殺させまいと錦祥女の着物を口にくわえ、体を重ねて、娘を守る老母、政太夫がここを語って見物を泣かせたのです。次の紅流しも団性爺の存分活躍する所。しかし、どうしても省略することが出来ないのは九仙山の場面です。攻め寄せる敵の大軍を不思議な懸橋で皆殺しにする大カラクリの場面ですがこの場は本家の文楽でもずっと上演されていません。タラルテがこの場をどう演出するのか。今から楽しみで一杯です。 |