1984年、大阪文化祭、大阪新劇フェスティバル参加
大阪淀屋橋朝日生命ホール/10月11日、12日、13日
原作/ロバート・ルイス・スティーブンスン、脚色、
演出、美術/吉田清治

ものがたり

幾千年昔、地獄の焔で鍛えられたというガラスの小瓶に棲みついた小鬼。この瓶を買ったものは、何でも欲しいものを自由に手に入れることができるという。ナボレオンも、クック船長も、織田信長も、この瓶を手に人れ、己の野望を遠成したが、瓶を売ったとたん失脚してしまった。

ハワイ島生れの船乗りケアウエは、一流の水夫として捕鯨船や汽船に乗り込み、走り回る活動家だったが、立ち寄ったサンフランシスコで見知らぬ髭の男から瓶の小鬼を50ドルで売りつけられてしまった。瓶の小鬼の魔力をつかって、欲しいものは何でも手に人るが、売る時は買った値段より、一セントでも、一円でも安く売らないと、瓶の小鬼は地獄までつきまとい、瓶を持ったまま死ぬと、永遠に地獄の火で焼かれるといういまわしい小瓶。瓶の小鬼のおかげか、ケアウエは、ハワイの叔父の急死から巨大な遺産を得、夢に見たバルコニー付きの豪華な邸を健てることができた。
しかし、友人のロパーカに瓶を売り渡す条件に、小鬼を見たいとせがまれ、ケアウエとロパーカは、一度見ると、のろいがつきまとい、まともな死に方ができないといわれる戒めを振り切って見てしまった。瓶はロパーカの手に渡り、安心したケアウエは、或る日、コクアという美少女と出会う。二人はたちまち恋に陥ちた。婚約の喜び。祝いのフラダンス。だが、踊り子の輪の中にケアウエは小鬼の顔を見た。ケアウエは一生なおらぬという業病にかかり、コクアの為に、もう一度瓶の小鬼を手に入れようとする。ケアウエとコクアの行手に待つものは、そして忍び奇る、不吉な影・・・。


解説(公演パンフレットから)

ロバート・ルイス・スティーブンスン(1850−1984〕は、物語作家として、又、詩人、随筆家として我が国でもよく知られ、宝島(1882)、新アラビア夜話(1882)、ジーキル博士とハイド氏(1886)など世界中に、今も広い読者を持っている。

スティーブンスンはスコットランドのエディンバラで生まれたが、母の体質を受けついだらしく、幼児期から病弱で、学校も欠席しがちだった。後にエディンバラ大学で工学を学び後に法律専攻に転じ1875年、弁護士の資格を得た。しかし法律も又、彼の志を満足させず、次第に文学へと傾いていった。結核の療養のために、しばしばフランス、ベルギー、アメリカなど数年間にわたり旅行したが、その時の紀行を読み物として次々に発表、随箏家として重きをなした。

1888−1889東部及び、中央太平洋のほとんどの島々を訪ねた時の見聞が、瓶の小鬼の人物や素材のモデルとなったといわれる。晩年はサモア諸島のウポル島に居を移し、島民の解放運動に力をつくしたが、1894年四十四歳で歳で死去した。

スティーブンスンは真底からのロマンティストであり、卓抜なストリーテラーであった。瓶の小鬼という作品の中で、人間の悩みや喜びが、大変現実感をもって迫ってくるのは、この物語りが、恐怖、喜び、人間の愛というシリアスな問題をを象微的な形で扱っているからであり、スティーブンスンの、「人間は愛によって救われる」というキりスト教的人生観がうかがわれるのである。


胴串とうなずきと

吉田清治

「女殺油地獄」の初演から年一作の大人のための人形芝居も今日までつづけて米来ることができました。その間、近松人形芝居のシリーズにはじまって、説経節から「小栗判官」を、また昨年は古浄るりの「あみだの胸割」から「地獄極楽閻魔通信」(じごくごくらくえんまのたより)と、日本の人形芝居の底流に向って逆のぽって来ました。「あみだの胸割」まで逆のぽって、後に残されているのは、呪術的な人形だけしかないといわれました。

 現代人形劇としては、伝統的な人形芝居の再創造を考える時、その伝統的な芝居から学ものは現代人形劇としての創造に生かされなけれぱならないという仮説のもとに進めてきました。しかし、伝統的な人形芝居は、古浄るりも説経も、また近松もその世界の豊かさ面白さは、すぐには現代人形劇の創造に生かされるものにはなりませんでした。もちろん伝統的な人形芝居を上演するうえで、現代的な創造性を考えなかったわけではありません。日本の人形芝居は、人形で演じる基本が胴串であり、うなずきにあります。何百年にわたって日本の人形芝居は、この胴串とうなずきで、語り物を演じる世界を完成させてきたのです。だから伝統的な人形芝居となんら関係のないところから生まれてきた日本の現代人形劇も、この胴串とうなずきの構造でもって人形劇を作って来たのです。

 クラルテも創立以来、ほとんどは胴串とうなずきを持った人形で演じて来ました。語り物としての叙事的な世界を人形が演じることで、どれだけ視覚的な表現として演じられるかということに努力してきたのです。これは現代人形劇の創造上の基本的に大切にしていかねばならないことです。

 今回の「瓶の小鬼」では、日本の人形芝居の中心にあった胴串とうなずきを否定する試みを出発点としました。あまりに無楳なのかわかりません。日本の人形芝居の伝統も現代人形劇も基木としてきた胴串とうなずきを否定することは、小鬼の陰謀にはめられたのかも知れません。人形が人形の足で舞台に立つことから人形が演じる出発点とすることは、人間の俳優によってしか、舞台に存在することのできなかった人形に新しい世界を生み出すことにはならないだろうか?また、俳優はいつも人形に従属させられていたことから、競う形で人形と演じることができないだろうか、いろいろな試行錯誤の上、冒険をしてみようと決しました。


 伝統や経験の上にあぐらをかいて来たわけではありませんが、過去の経験や成果の延長線上で考えたり、作ったりすることはまだ楽でした。「女殺油地獄」の初演の時も、現代人形劇のおおまかで雑な人形の演技表視では近松の世話物が演じられるはずはない、といわれました。しかし、現代人形劇も、日本の人形芝居の基本である、胴串とうなずきをもった人形で演じて来ていることから、近松も充分に演じられると思っていました。それから十数年たった今日、この胴串とうなずきを否定することは、今日まで日本の人形芝居を築いて来た人形劇俳優の技術を否定することになるかもしれない恐れすら持っているのです。今度の仕事からあらためて、日本の人形芝居が持っている胴串とうなずきのすばらしさを見直す結果になるのかもしれません。また無意識に使って来た胴串とうなずきの呪縛からとかれて新しい可能性が生まれてくるのかもしれません。

 ともあれ現代人形劇の創造的な可能性がまだまだあると考えるならぱ、勇気を持って、また創造灼な可能性に向って進んでいくことが、伝統的な人形芝居から学ぶものを現代人形劇の現代に生かそうとする仮説を実際にやってみることだと思うのです。破壊の後には混乱がまちうけているのかもしれません。これは地獄の火で焼かれることを知りながら、小鬼の魔力に引きこまれているのかもしれません。

 「瓶の小鬼」の原作とはじめての出会いはもうずい分と昔のことです。記憶のどこかに小鬼の持つ不思議な魅力と、人間の持つ欲望やみにくさは、一昨年上演した「きつねライネケの裁判」や今年初演した「なめとこ山の熊」などに共通するなにかがあるように思うのです。鬼や地獄は、恐れとして愁じることがなくなってしまった現代人にとって、「瓶の小鬼」が業として私には永い間とりついていたのかもしれません。それで、鬼や地獄とはなれられないで、いつも顔を出してくるのでしょう。鬼や地獄を恐れなくなってしまった私たちは今、もっと恐しい現実にさらされているのに・・・。瓶の小鬼は私に住みついているようです。

大人を動かす人形劇

八木 浩(大阪外国語大学ドイツ語科教授)

 アンリ・バルビュスの小説(1919)に由来し、またかれの人間進歩と社会変革の運動に由来するクラルテという名は、ヨーロッパにいってみるとすぐ多くの人が理解し、クラルテがやるのならみにいきたい、いつなのだ、と問いかけられました。ウニマ(世界人形劇大会)にいって、そこでうけた印象の一こまですが、それはなかなかいい名をつけたものだ、そしてその名にふさわしい活動をしている、ということです。子どものみならず、大人をも動かす人形劇がやれるクラルテというのが、一つの人きな特性であり、真実なのだと思います。

クラルテが、三十六周年を迎える。この三十六年の流れを追ってみて、とくに印象深い、大人に向けられた、大規模な上演は、「女殺油地獄(1974)、「出世景清」(1975)、「小栗判官」(1980)
「きつねライネケの裁判(同上)などでした。それらには人形劇こそあらゆる劇の中でも真実にもっとも近いものだと思わせるものがありました。人形は俳優の競争相手ではなく、俳優の優秀な指導者だとか、人形と俳優はともに並行して活躍するものだとか、古来多くの人がのべた考えもあたっているように思われます。ドイツの詩人のリルケは「ドウイノ悲歌」で、俳優のものまねのむなしさを疑い、人形の方が充実している、人形と天使で活劇になるのだ、とうたっています。

しかし、そういえるために人形劇は、今日の世界を表現できなくてはなりません。もし人形劇が、子供っぽい、ゆめや不思議や、エクゾチックな世界だけを現実から切り離して、あるいは現実にとってつけたようにあらわすのみなら、そう重視される値打がなくなることでしょう。今日のように夢みる力が子どもから奮われかねない危機に、もしそれを訴えようとするならば、全体への人きな省察が必要となるにちがいありません。変りつつある今日の世界、核、宇宙、環境から始って魂の中まで、人形劇は表現できなくてはならないのです。子どもの方が早くそれを理解できるにしても、大人がそれを認めて理解することが大切にちがいありません。

大人から子どもへ、子どもから大人へ、クラルテの人形劇はすばらしい流動と統一を示すことができます。『きつねライネケの裁判』には大人用のむつかしいコーラスが入っていますが、大人と子どもがいっしょになってみていくと、子どもにもよくわかってもらえるでしょう。日本国憲法のことがわかるには、大人の助けがなくてはなりません。ウニマに参加して思ったことは、この調子で上手に、また大胆に今日の世界を表現すべきだ。公害でも、核兵器でも、歴史でも、古典の再現でも、興隆する欧米の人形劇は正面から四つにとりくんでいる、ということでした。こういう課題に耐えうるのがクラルテだと、今回の上演にも大いに期待しています。