「頼光・四大王伝説」ゆかりの地
田結荘 哲治(文楽研究家)
 
 このお芝居では、小夜の中山から始まって京都、信州、近江などに舞台が移っていきます。紙数の関係で登場するすべての地についてお話しすることはできませんが、そのうちのいくつかを取り上げてみょしょう。

 まずプロローグから三場までの舞台となる小夜の中山と掛川はどちらも静岡県にありますが、同じ場所ではなく掛川が東海道五十三次の宿場町であったのに対して、小夜の中山は一〇キロばかり東の山中にあり西行法師の歌や夜泣き石伝説で知られたところです。

 続く四場の「大納言兼冬館」では、八重桐が「難波の廓」 に遊女として勤

めていたという話が出てきますが、この難波の廓は新町廓のことで、いま厚生年金会館がある大阪市西区新町一丁日付近にありました。新町廓は、京の島原、江戸の吉原とともに三大遊里としてにぎわったところですが、戦災のためにかつての面影はすっかり失われ、現在では厚生年金会館の小公園に「新町九軒桜堤の跡」の石標が立つのみです。

 このあと都を落ち延びた頼光は、五場の信州路で占部末武を家来に加え越後に向かいます。山姥が隠れ住んだという上路(あげろ)は、難所で知られた親不知に近い新潟県青海町にあります。富山県との県境にある白鳥山の山中には、山姥の住んだという洞窟や月の光を浴びて山姥が舞ったという山姥の踊り岩もあります。

 八場は頼光と四大王による鬼退治のお話です。このお芝居では鬼の住家は近江の高懸山になっていますが、大江山伝鋭の地としては京都府大江町の大江山が有名です。大江山は標高約八三二米、丹波と丹後の境にあり周辺には「日本の鬼の交流博物館」をはじめ酒呑童子伝説にかかわる旧跡が点在しています。

一方、京都市西北部の老ノ坂にも大江山伝鋭があります。この地は山陰地方へ向かう街道の要衝ですが、平安時代には盗賊たちの隠れ家ともなっていたようです。そうしたことが鬼退治伝説と結び付いたとみられ、酒呑童子の首を祭ったという首塚大明神などがあります。