ゲーテとフランス革命
芳原 政弘(関西大学文学部教授)

 ゲーテの『きつねライネケ』は、フランス革命の動乱期の所産の一つである。フランス革命は、周知のように1789年7月14日朝、パリの民衆が廃兵院を襲い、3万2000丁の小銃を奪ったあと、バスチーユ獄(政治犯の監禁所)を攻略するところから端を発する。この絶対王制の砦への襲撃は、すでに封建制の重圧に苦しむ農民・民衆によって各地に起されていた反乱をフランス全土へ拡大させ、やがてはヨーロッパ全土を摺り動かすことになった。ゲーテは幸わせなイタリア旅行(1786年9月〜1788年6月)からワイマルに戻り、生活と仕事が軌道に乗ったところで、フランス革命が勃発し、強い衝撃を受けた。「自由・平等・友愛」の理念とその実現は、ドイツに大きな反響を呼び、哲学者カント、フィヒテ、ヘーゲルや詩人クロップシュトック、ヴィーラント、ヘルダー、ヘルダーリンなどは異口同音に「すばらしい日の出」(ヘーゲル)として称えたのであった。

 しかしゲーテはシラーと同様これら知識人と異なり、好意的な反応を示さなかった。むしろ革命によって生ずる暴力と狂信に対して不快感をいだいた。ゲーテ、シラーは反革命的態度をとったと批判されるゆえんである。なるほどゲーテは革命に熱狂しなかった。しかし1792年ワイマル公に伴って反革命のプロシア軍の一員としてフランスヘ出征、9月20日ヴァルミーの戦いで惨敗したとき、「今日、ここから世界史の新しい時代がはじまる。君たちはそこに居合わせたということができる」と語り、新しい時代の到来を認識している。しかし悪天候、飢餓、伝染病に見舞われた戦争体験は、平和の徒と自認するゲーテには耐えがたいものであった。

 こうした体験は、革命の内に歴史的意義よりも革命戦争による社会の混乱、破壊と略奪に道義の退廃、ヒューマニズムの喪失を見たのである。革命の現実を見すえ、現実の混沌をいかに克服するかが革命に村する現実主義者ゲーテの基本的態度であった。このフランス出征中この作品の素材と着想を得、翌年のマインツ出征の折にも原稿を携帯し完成した。彼はこれを「宮廷や君主を映す鏡」といい、「人間の偽りない獣性」が描出されていると述べている。この作品を通じ世情を痛烈に批判することによって「自分を救い出そう」と試みたのである。因みにいえば、はじめ革命に熱狂と期待を寄せた多くのドイツ知識人は、1793年1月の国王ルイ16世処刑以後、幻滅と失望に革命観を一変させた。フランス以上に封建制の旧態を残し、大小300有余の領邦国家が分立し、統一国家の体裁をなさぬ後進国ドイツでは、フランス革命の政治的社会的変革は、収拾できぬ混乱と対立を招くだけだった。革命の本質や精神は把握できても、国情は新しい政体・制度を採用できるほど成熟していなかったのである。へーゲルもマルクスも革命の理想はフランスでは実践に、ドイツでは思想文化に結実したと述べている。