「きつね」について
中 西 武 夫(大阪芸術大学教授)

 人形劇団クラルテは、ゲーテ死後150年記念として「きつねライネケの裁判」を公演します。ことし'82大阪フェスティバルは、ふしぎに(きつね)が跳梁(ちょうりょう)します。大阪放送劇団五期会の「春霞変化競狐七娘」という落語からのミュージカルがあります。'82の日本は、あらゆる分野で(狐狸)が活躍しています。角川版「漢和辞典」では、狸と狐の外に、人を欺しこそこそと悪事をはたらく者の意味とあります。私たち正直で善良なる市民は、これに対して(狐疑)=狐の性質が用心深いことから疑いあやしむこと=で、自己防衛しなければなりません。広辞苑によると(古来、人に知られ種々の言い伝えや、迷信があり、人をだますと称せられ、また稲荷神の使などといわれる)とあります。

 しかし痩身の私は、痩身の狐を愛します。そして狐の襟巻をした婦人を嫌悪します。ゲーテのこの作品は、12世紀から14世紀にかけてドイツ、北フランスに流行したROMAN・DE・RENARD(動物説話)の影響をうけたもので、狐のライネッケREINEKEは、奸智と術策で、猛獣たちの処刑を巧妙に切り抜けます。森の掟という体制へのかしこく、さとい反体制行動です。吉田清治氏がどう脚色しているか、私はたのしみであります。動物劇は、「洞熊学校」以来の公演ですが、本来人形劇にとって、動物劇は大切なレパートリーです。そして動物の軽快な動きは、使い手の技巧の熟練を見せる重要なレパートリーです。今は大人である私の息子たちが、子供の頃人形劇団プークの「プー吉」の中の蝿で歓喜し、使い手がそれに反応してノリにノッたことを思い出します。

 クラルテは近松現代人形芝居のシリーズ六作品と、説経節「小栗判官」で、誇るべき成果をあげました。今「きつねライネケの裁判」が、現代諷刺劇としての蘇生に大きい期待をかけます。ところでまた狐にこだわるわけではないのですが、狂言「狐塚」や、浄瑠璃「芦屋道満大内鑑」の葛の葉伝説を思い出します。前者は狐といつわった人間太郎冠老が、大名と次郎冠者をいじめる喜劇です。後者は、人間の美しい女性に化けた葛の葉が、安倍保名と結ばれ、狐と知られて、例の「恋しくば尋ね来て見よ、和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の歌を障子に書き残して去る哀切な物語です。かたおかしろう氏は、葛の葉は狐でなく、差別された女としての新らしい解釈のドラマをかきました。吉田清治氏が彼のロマンの精神で、人形芝居化してほしいとふと思いました。